ブログBlog

New Entry

Category

8年前、たった一人になった <3月11日>

2019.03.11

 東日本大震災から8年目の11日、『8年前、たった一人になった』という見出しで朝日新聞デジタルが配信した記事がありました。

 震災後は、家族との死別を伝える悲しい記事があふれていましたが、最近ではあまり目にする機会も少なくなりました。

 当時、読めば涙を流すつらい内容の記事ばかりで読むのを避けていましたが、あの災害を風化させないためには、しっかり向かい合うべきだと思い読みました。

 『愛する誰かのために生きてえ プリキュアが大好きだった娘は、いまもそばに』というタイトルでした。少し長いですが紹介します。

 『「ちーちゃん、来たよ」。岩手県陸前高田市の小島(おじま)幸久さん(47)は11日午前10時半、レインコートを着て市内の墓を訪ね、手を合わせた。長女千空(ちひろ)ちゃん(当時7)はアニメ「プリキュア」が大好きだった。

 人付き合いが広かった妻紀子さん(同38)、仕事で信頼が厚かった両親。共に暮らしていた家族4人は震災から7日後、車の中から遺体で見つかった。自身は消防団の避難誘導で一緒にいることができなかった。全員を抱きしめて、泣いた。

 震災から100日目、避難所から仮設住宅に移るのとほぼ同時に、家族で経営していた電器店を仮店舗で再開した。千空ちゃんが残したキティちゃんの花柄のリュックを手に、仕事場と一人暮らしの仮設住宅を往復する日々。働かないと不安だった。でも何のために稼ぐのかわからない。「愛する誰かのために生きてえ」。毎日、家族のことを思った。

 2015年10月、亡き母の知人の紹介で出会ったさちこさん(40)と再婚した。家族をいっぺんに失う「特別な経験」をした自分を自然に受け入れてくれる人柄にひかれた。翌年11月、長男の空大(そらた)ちゃんが生まれた。名前には、千空ちゃんから1文字もらった。

 毎朝、2歳になった空大ちゃんをひざの上に乗せて仏壇に向かう。手に持たせた線香に火をつける。合わせた小さな手に上から重ねて一緒に合掌。最近は、声をかけなくても、空大ちゃんから駆け寄ってくるようになった。

 まだ震災のことをわからない空大ちゃんには「ちーちゃんはお姉さんだよ」と教えている。空大ちゃんは、お風呂でお気に入りの金魚のおもちゃに「ちーちゃん」。食事中に「ちーちゃん!」と声を上げることもある。「不思議。千空が近くに来てるんだなって思う」

 電器店は2年前に自宅兼店舗として再建した。仕事も軌道に乗り、今年の元日は震災後初めて、離れて暮らすきょうだい家族を招き、自宅でしゃぶしゃぶをした。酔っ払ってあまり覚えていないけど、楽しかった。

 あれから8年。今年は千空ちゃんが中学を卒業するはずだった年だ。空大ちゃんはまだ2歳。もっと仕事を安定させ、空大ちゃんが望めば継いでいけるような店にしたい。「空大が二十歳になる時、俺は66とか65とかの年。まだまだこれからだ」

 千空ちゃんのリュックはいま、仏壇のある部屋の壁にかけてある。習ったばかりのひらがなで「ぺとぼとろ」「のおと」と、持ち物を書いた千空ちゃんのメモと、知り合いがくれた千空ちゃんの20枚の写真はいつも持ち歩いている。

 新しい家族3人での墓参り。お墓では「今までと同じように、これからも空から見守ってください」と声をかけた。8年前、たった一人になった。今年は隣に家族がいる。「いい人に出会わせてもらって、感謝してる。きっと4人が見守ってくれているからかな」』<『』内は配信記事全文です>

 陸前高田市は、被災後訪れた場所の一つでした。

 こんな記事が2度と配信されないよう、防災の強化は国を始め各自治体の総力を挙げて取り組む必要があると思います。山も海もない開成町も例外ではなく・・。