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人がいない <2月5日>

2020.02.5

 『新型コロナウイルスによる肺炎の拡大を受けて中国政府が海外への団体旅行を禁止したことで、京都市内の観光地や寺社で観光客が激減している。

 京都市右京区の嵐山かいわい。渡月橋に続く嵐山商店街は、例年なら春節が終わっても通行人の肩が触れあうほどのにぎわいだが、人出はまばらだ。

 商店街の副会長によると、中国政府が禁止措置を取った1月27日の翌日から観光客が激減したといい、「この時期は特に中国人頼みだったため打撃は大きい。先行きが見えず、影響は計り知れない」と危機感を抱く。』この記事は5日、京都新聞が配信した記事の書き出しです。

 京都に限らずどこの観光地も同じ状況ではないでしょうか。4日から始まった札幌雪祭り、報道によれば初日の人出は例年を大きく下回っているようです。

 中国からの観光客が、これほど日本の観光業に大きな影響を及ぼすとは思いませんでした。

 この状況をポジティブに考えれば、いつも混雑している観光地、各地で開催される大規模なお祭りやイベントを、ゆっくりと楽しめるチャンスだと思います。

 日本の皆さんは、普段混雑しているからと敬遠していた観光地や、雪祭りなどこの時期に開催される有名なイベントに、この機会に是非足を運んでみてはいかがでしょうか。

免許返納最多54万人 <2月4日>

2020.02.4

 『免許返納最多54万人 昨年1~11月75歳以上が約6割』という見出しの付いた記事が、4日読売新聞に掲載されていました。

 記事は『運転免許証を自主返納したドライバーが昨年1~11月末に全国で計54万4564人(暫定値)に上り、過去最多だった2017年(42万3800人)を大きく上回ったことが警察庁のまとめでわかった。』と記されていました。

 また記事には返納者のうち75歳以上が58.7%を占めたとの掲載があり、後期高齢者が半数以上という状況です。

 一方で2月2日、yahooニュースが配信した『小売店の撤退、自動車運転免許の返納などで、食料品などの買い物に行けない高齢者が増えている。

 農林水産省では生鮮食料品店まで直線距離で500メートル以上、かつ65歳以上で自動車を持たない人を「買い物弱者」と定義したが、その数は全国で825万人に及ぶ。

 そんな人たちは地方の過疎地域から首都圏のベッドタウンにまで広がっている。買い物弱者をどう救えばよいのか。』という記事がありました。

 超高齢化時代を迎え、高齢者が元気で充実した生活を過ごすためには、この記事のように買い物だけでなく、通院や仲間との交流などのための移動手段は大変重要だと思います。

 全国レベルでの国・県の対策も必要ですが、地域によって交通環境は当然異なるため、市町村によるそれぞれの地方行政の役割が一番大切になってくるのではないでしょうか。

 高齢者が家にこもって生活するのではなく、機会あるごとに外出して活動することは、健康寿命の増進に大きく寄与すること間違いないと思います。

 免許証返納後の高齢者の移動手段確保は、地方行政の大きな課題の一つと言っても過言ではないと考えます。

 開成町の巡回バスに関しても、町内の方からいろいろな意見が出ています。それだけ必要性が高いということでしょうか。

泣いた赤鬼 <2月3日>

2020.02.3

 3日は節分、我が家でも孫たちと一緒に「鬼は外、福は内」の掛け声で豆まきをしました。

 鬼と言えば我が家の玄関に、家内が山形に出かけた時買ってきたという、米沢市の独楽の民芸品で青鬼と涙を流した赤鬼が飾ってあります。

 これは、童話作家の浜田廣介氏の作品(泣いた赤鬼)をモチーフにした独楽です。

 「泣いた赤鬼」のあらすじ、少し長いですが紹介します。

 『とある山の中に、一人の赤鬼が住んでいた。赤鬼はずっと人間と仲良くなりたいと思っていた。

 そこで、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」 という立て札を書き、家の前に立てておいた。

 しかし、人間たちは疑い、誰一人として赤鬼の家に遊びに来ることはなかった。

 赤鬼は非常に悲しみ、信用してもらえないことを悔しがり、終りには腹を立て、せっかく立てた立て札を引き抜いてしまった。

 一人悲しみに暮れていた頃、友達の青鬼が赤鬼の元を訪れる。赤鬼の話を聞いた青鬼はあることを考えた。

 それは、「青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。 そうすれば人間たちにも赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう」という策であった。

 しかし、これでは青鬼に申し訳ないと思う赤鬼だったが、青鬼は強引に赤鬼を連れ、人間達が住む村へと向かうのだった。

 そしてついに作戦は実行された。青鬼が村の子供達を襲い、赤鬼が懸命に防ぎ助ける。

 作戦は成功し、おかげで赤鬼は人間と仲良くなり、村人達は赤鬼の家に遊びに来るようになった。 人間の友達が出来た赤鬼は毎日毎日遊び続け、充実した毎日を送る。

 だが、赤鬼には一つ気になることがあった。それは、親友である青鬼があれから一度も遊びに来ないことであった。

 今村人と仲良く暮らせているのは青鬼のおかげであるので、赤鬼は近況報告もかねて青鬼の家を訪ねることにした。

 しかし、青鬼の家の戸は固く締まっており、戸の脇に貼り紙が貼ってあった。

 それは「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。

 それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。ぼくはどこまでも君の友達です」 という青鬼からの置手紙であった。

 赤鬼は黙ってそれを2度も3度も読み上げ、涙を流した。』<『』内はウイキペディアによる>

 この話、子どもや孫たちは知っていましたが、恥ずかしながら私は今回初めて知りました。

<豆まきをする孫たち(上)青鬼と涙を流した赤鬼(下)>IMG_1692IMG_1680

東海道新幹線 <2月2日>

2020.02.2

 1月21日のブログで、神静民報に寄稿された『県西地域の街道(交通基盤)を考える』という記事を紹介しました。

 記事は、神奈川県西部地域の鉄道に関する歴史などを紹介するもので、既に小田原電気鉄道と小田原急行電鉄、大雄山鉄道、箱根登山鉄道の紹介をしました。最後の5番目は「東海道新幹線」です。

 記事は『新幹線は当時、東海道線が急激な高度経済成長下で線路容量が逼迫しており、抜本的な輸送力増強を迫られていた。このため、国鉄は昭和34年に新丹那トンネル熱海口で起工式を行って工事に着工し、東京オリンピック開会直前の昭和39年に全線が開業した。また、綾瀬から小田原までは、新幹線の実験線として、昭和37年に鴨宮モデル線が完成し、各種の車両実験が行われた。

 事業は戦前の弾丸列車構想に基づいて、既に用地買収が進められており、新丹那トンネルなども一部工事の着手が行われ、休止となっていたものを再開したため、比較的短期間で完成をしている。

 新幹線の駅として小田原駅は、既に交通の要衝として鉄道のネットワークが出来あがっており、神奈川県の西の玄関口として在来線に併設する形で、昭和39年に新幹線小田原駅が開業した。』と記されていました。

 新幹線の開業は、県西地域に住む者にとって生活に大きな変化が生まれたと言っても過言ではないと思います。

 これまで小田原から東京に行くために、1時間半かかっていたものが半分以下の時間で行けるようになり、サラリーマン時代には午前中京都工場の会議に出席して、平塚にある本社の午後の会議でその報告ができる、名古屋はもちろん京都、大阪が日帰り出張の範囲にもなりました。

 新幹線は開業以降スピードアップだけではなく、路線が拡大され、今や国内主要都市を結ぶ幹線鉄道となり、仕事や旅行の移動に大変大きな変化を与えることになりました。

箱根登山鉄道 <2月1日>

2020.02.2

 1月21日のブログで、神静民報に寄稿された『県西地域の街道(交通基盤)を考える』という記事を紹介しました。

 記事は、神奈川県西部地域の鉄道に関する歴史などを紹介するもので、既に小田原電気鉄道と小田原急行電鉄、大雄山線の紹介をしました。4番目は「箱根登山鉄道」です。

 記事は『明治22年から馬車鉄道の開通により、箱根湯本までは多くの観光客を迎えることができたが、さらに箱根の核心部へ至るルートは険しく、登山鉄道の夢を描いた人々が多かった。

 計画が動いたのは明治40年、小田原電気鉄道ではスイスの登山鉄道を範として、箱根遊覧コースの構想を描いた。

 起工より7年半の歳月の末、大正8年に箱根湯本―強羅間が完成した。最大の難関は早川の河床部から43メートルもある全長約61メートルの早川橋梁(通称出山の鉄橋)である。谷底からは木製の足場を何層にも積み重ねて施工をしているが、橋梁上部工の調達には苦労をしている。

 当時ヨーロッパでは第一次世界大戦の真っ最中で、鋼材の輸入は途絶えていた。

 国内も価格暴騰のなか、東海道線の天竜川橋梁(明治21年完成)の払い下げを転用することができた。天竜川橋梁はイギリス流トラス橋を代表する200ftダブルワーレントラスで、斜材に錬鉄、上弦材や下弦材には鋼を使う混合構造であり、供用中で我が国に現存するものとしては最古のものである。

 この様にして小田原から強羅まで鉄道は繋がったが、一度路面電車に乗り換える不便さもあり、さらに小田原から箱根湯本までを鉄道専用線として整備し、小田原駅に直接登山電車の乗り入れる整備が昭和6年から始まった。小峰隧道(延長285メートル)、板橋陸橋(延長40メートル)等を整備し、昭和10年に小田原―強羅間の直通運転が始まった。

 一方、市民に親しまれた路面電車は小田原―板橋間が残り、昭和31年まで営業が続けられる。』と綴られています。

 箱根登山鉄道は昨年の台風被害で現在もなお復旧作業中で運行していません。

 箱根は大涌谷園地の噴火警戒レベルが下がってホッとしたのもつかの間、お客様を運ぶ足である鉄道が台風で運休してしまい、大変な痛手を負うことになりました。

 さらに国際観光地箱根にとってここ数日、世界中を騒がせている新型コロナウイルスの影響で中国からのお客様が途絶え、踏んだり蹴ったりの状況となってしまいました。

 箱根が元の賑わいを取り戻すためにも、箱根登山線の復旧は大きな要因になると考えます。一刻も早い復旧を祈ります。

 蛇足ですが、妻は高校大学とこの鉄道を利用していました。一足違いでホームを出発した電車が、乗り遅れた妻を見つけ、停まってくれたというエピソードを懐かしそうに話してくれました。