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水運ぶ少年 <3月12日>

2019.03.12

 3.11の大惨事から昨日で早くも8年、12日の新聞には各地で行われた追悼式の様子が掲載されていました。

 あの災害がもたらした様々な悲劇の報道は、どれも涙なくして見ることのできないものばかりでしたが、昨日同様当時の様子が記され感動した記事がありましたので、今回も少し長いですが紹介します。日刊スポーツが9日配信した記事です。

 『「拝啓 高倉健様 高校を卒業しました。理学療法士になるため、4月から専門学校に通います」。がれきの中、口を固く結んで4リットルのペットボトルに入れた水を運ぶ姿が撮影され、「水を運ぶ少年」と呼ばれた宮城県気仙沼市の松本魁翔(かいと)君(当時10)がこの春、高校を卒業した。

 いたいけな姿に全国から手紙が寄せられ、故高倉健さんも「負けないで!」とつづった東日本大震災発生時から8年。旅立つ前の魁翔君に会った。身長130センチ。「とにかくちっちゃかった」と母のいつかさん(39)が振り返る少年は8年たって168センチになった。長めの髪に足元は借り物のピンクの長靴。「お姉ちゃん、頑張ってるね」と間違えられるたびに「俺、男です」と答えていた少年は、顔つきも筋肉の付き方も、もう誰も見間違えることのない若者になった。

 8年前、家は津波で流された船の下敷きになり、親戚宅に避難した。町は断水が続き、歩いて15分の井戸に通って水をくみ、家族のもとに運ぶのが魁翔君の役割だった。朝、昼、晩、1日3回の水くみは1カ月続いた。がれきの中、両手に大きなペットボトルを提げて水を運ぶ姿は、通信社のカメラマンに撮影され、世界に配信された。

 全国から励ましの便りが寄せられ、「拝啓 初めてお手紙を書かせていただきます。映画俳優の高倉健と申します」という高倉さんの手紙も届いた。高倉さんは「被災地を忘れないことを心に刻もうと映画の台本に写真を貼って毎日撮影にのぞんでいました」とつづり、結果的に遺作となった「あなたへ」(12年8月公開)の台本に新聞から切り取った魁翔君の写真を貼っていたことを明かした。

 全国から届いた手紙は魁翔君の宝物だ。「心が折れそうになったとき、手紙を読みます。励みというか力になって、上を向いて歩いていこうという気持ちになれます」。小1から道場に通った防具付き空手では中3のとき、全国優勝した。中学に入って始めたバスケットボールは高2のとき、全国高校選手権(ウインターカップ)に出場した。ポジションはポイントガード。司令塔だ。

 「あっという間」だったという8年。小学4年生だった「水を運ぶ少年」は今月、高校を卒業した。4月から理学療法士になるため、仙台の専門学校に通う。「震災のとき、足の不自由な人や年寄りの人が避難できなかったと聞いたので、そういう人を少しでも動けるようにしたいと思います」。手紙も仙台に持っていく。くじけそうになったら、また読み直すつもりだ。

 高倉さんは「思いついたら、手紙を下さい。遠くからですが、貴方の成長を見守っています。負けないで!」と書いてくれた。当時、「気仙沼を復興させていつか招待します」と返事を書いた。高倉さんを招待することはかなわなくなったが、4年後、理学療法士になって気仙沼に帰り、復興を支えたいと思っている。』<『』内は配信記事全文です>

 魁翔(かいと)君のこれからのご活躍を心からお祈りします。